こんにちは、未だに仮想通貨童貞のゴッホです。登録に大分手間取っております。
BitBankにブチ切れそうになっていましたが、コインチェックの一件で胸を撫で下ろしました。
斉藤賢爾さんの「信用の新世紀 ブロックチェーン後の未来」を読んだので感想を記します。
この本は起業家でエンジェル投資家の有安伸宏さんのツイートをみてポチリました。
アカデミックな香りがしたのでkindle版じゃなくて紙の本の方を注文
— 有安 伸宏 (@ariyasu) 2018年1月14日
> 電子マネーやビットコインといったデジタルな通貨に置き換わるという話ではありません。「マネー」そのものが衰退する
信用の新世紀 ブロックチェーン後の未来 2017/12/27https://t.co/ZeguViIcdP
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佐藤航陽さんの「お金2.0」を読んで、仮想通貨の出現により今後の世の中・経済が大きく変わるということを理解することができた。
ブロックチェーンが社会に与える影響というテーマで書かれた本を読み漁っていたのだが、どの本もしっくりくるものがなかった。
「お金2.0 新しい経済のルールと生き方」読書感想 - ゴッホの備忘録
そんな中で「信用の新世紀」は、デジタル通貨で博士号を取った斎藤さんらしい専門的な知識を交えつつロジカルでわかりやすく無事に読了することができた。
また、アカデミックな斎藤さんらしく、23もの参考文献が引用されていた。中には1960年出版の古典もあった。
本書は小説から始まる。主人公のシミズ・ツヨシが我々のいる現代から2048年の未来へとタイムスリップする。彼はそこで、貨幣経済が衰退した未来を目の当たりにする。
ATMは設置されておらず、人々はお金を払わずに商品を持ち去る。
先日第一号店舗がオープンしたAmazonGoのように。
レジのない「Amazon Go」がついにオープン、センサー満載の店内をチェック | BUSINESS INSIDER JAPAN
AmazonGo自体は支払いはAmazonアプリから自動的にされるようだが、シミズ・ツヨシが体験した未来は贈与経済で成り立っており、支払いはせずに自由に持っていっていい設定になっていた。
2048年では、AIとロボットの発達により、人は働かなくても生きていけるようになっていた。そうなるかどうかは別として、思考実験としては面白い。
小説の後、ブロックチェーンの仕組み、信用経済の成り立ち…と考察が進む。
正直に告白すると、ブロックチェーンの仕組みの話とか、ソフトウェア関連の話、特にビザンチン将軍問題の話はよくわからなかったので舐めるようにサラッと読んでしまった。
逆に言うと、ブロックチェーンやソフトウェア関連の知識がなくても本全体の内容は十分に理解できる。
主に語られるのはブロックチェーン技術の登場による、「貨幣経済の衰退」だ。
貨幣だけでなくメディアについても過去の歴史と未来が語られる。両者に共通するのはブロックチェーン技術やインターネット技術の登場による過去への回帰である。
メディアの方がわかりやすかったので先に説明したい。
1455年にヨハネス・グーテンベルグが欧州で初めて聖書の活版印刷を行なった。
活版印刷技術の発明は我々ホモ・サピエンスの爆速的な発展をもたらした。
敢えて「ホモ・サピエンス」という表現を使ったのは本書の随所でユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」が引用されるからだ。
「サピエンス全史」は歴史を題材に扱った作品の中ではジャレド・ダイアモンドの「鉄・銃・病原菌」やウィリアム・マクニールの「世界史」を越える名作なので、まだの方は是非読んでみてほしい。
活版印刷の発明以前、メディアは「写本」という形で存在していた。
書物は人々が書き写して回し読みしていたのだ。そこには写し手の思想が入り込みながら、モザイク状に構成されていた。1冊ずつ手書きのため1つ1つがユニークだった。
プレ・グーテンベルグでは、読者は個人的なものではなく、集団で集まって○○さんの写本を読み合わせるといった聴覚的なものだった様だ。
*識字率の低さも影響していただろう。
活版印刷の登場により、一字一句違わないテキストが複製可能になった。その時に初めて著者という概念が登場した。活版印刷の登場から500年以上に渡り、論文や書籍はサピエンスの発展に貢献してきた。
そして時代は現代。活版印刷を極限まで推し進めた「デジタル・メディア」が登場する。
デジタルメディアは活版印刷術が強化していた「著者」という概念を衰退させ、活版印刷術により衰退させられていた写本を回復させる。
こうやってブログを書いたり、Twitterで自分の意見を発言することは、グーテンベルグ以前の人がしていた写本と同じかもしれない。
それぞれにブログ主、アカウント主の思想が入り、モザイク上のメディアを形成する。
デジタルメディア上の写本の拡大により、「著者」という概念が衰退する。
確かに、本は全く読まないけど、TwitterやFacebookのタイムラインは見るという人は多いかもしれない。我々が読む活字のシェアはソーシャルメディアの割合が増加していっているだろう。
しかし、著書は衰退してもなくならないだろう。
プロの作家と編集者がお金と時間をかけてかけて本は、無料で読めるブログやましてやTwitterに流れてくる内容とは文字あたりの密度が違う。旧来のメディアとソーシャルメディアは相互に補完し合う関係になるのではないだろうか。
例えば、写本からの著作家である。ぼくが愛して止まない「ハッカーと画家」は元々はポール・グレアムのブログをまとめて書籍化したものだし、敬愛するサウザーさんも毎日ブログを書かれて書籍化を目指されている。
プレ・グーテンベルグと現代で違う点がある。1つの写本の影響力だ。
インターネットによる写本は複製コストは0なのでフォロワーが多かったり面白い内容のコンテンツは瞬く間に世に広まる。逆の場合は一生懸命書いても誰にも読まれない。
コンテンツの評価は蓄積される。影響力があるものはさらにさらなる影響力を手にし、影響力がないものはずっとないままという残酷な世界でもある。
現代の写本を根気強く続けて、評判を積み重ねていくことが大切なのかもしれない。
メディアについてはマーシャル・マクルーハンの「グーテンブルグの銀河系」が多く引用されていた。
貨幣についてはデヴィット・グレーバーの「負債論」が引用される。
貨幣は最初、金貨・銀貨などの硬貨ではなく、信用貨幣として登場した。
相手を信用できなければ何かを貸すことはできない。いつ獲物が捕まるかもわからない狩猟時代では貨幣は実現し得なかった。
農耕の出現とともに負債という概念が登場し、それとともに負債を表す数字として貨幣が登場した様だ。
そもそも、狩猟採取時代にはサピエンスは全能だった。誰の許可を得なくても食物を確保できる。その気になれば一人でも生きていける。
自分たちが生きるための全てを群れのメンバーで行うことができた。例えば、狩りのための武器を作る、獲物を狩る、皮をはぎ、火をおこし、調理する、木の実を採取するといったことだ。
農耕が始まると人々の仕事は専門化され、万能性は失われた。生き延びるために必要な全てを自分たちだけで行なうことはできない。
何もかも貨幣がなければ手に入れることはできない。貨幣を得るために労働をしなければいけないという不自由を強いられている。
専門性と貨幣がサピエンス全体に爆速的な発達をもたらしたが、サピエンス一人ひとりの自由や幸福度は狩猟時代に比べると低下したのかもしれない。
これは前述の「サピエンス全史」でも農耕革命は人類史上最大の詐欺だったとして取り上げられている。
人類が小麦に騙された日(サピエンス全史より) 1/2 pic.twitter.com/qPNRjWa7PN
— 海行(うみゆき) (@_darger) 2017年9月22日
人類が小麦に騙された日(サピエンス全史より) 2/2 pic.twitter.com/qVyBsY4Yjz
— 海行(うみゆき) (@_darger) 2017年9月22日
税金は元々は自由市民は払うことはなかったようだ。戦争に負けて支配された国の国民が収めていた。税を貨幣で支払っているうちに、市場が生まれた。
専門化と貨幣と国家は三つ巴の形で発展してきたようだ。
貨幣は交換を促進するものなので、専門分化している社会でなければ存在意義がない。専門分科は個人の万能性を損なうことなので、安全保障のために国家を必要とする。国家は税金を必要とし、そのために貨幣が発明されたとさえ言える。
そして、メディア同様に貨幣についても反転が始まっている。
ブロックチェーン技術は貨幣を、インターネットを利用した知識の共有と3Dプリンティングのようなパーソナルな製造技術が専門分化を、インターネットは国家を衰退させる。
逆に、貨幣、専門分化、国家により衰退させられていたものが回復する。
贈与経済、個人の万能性、狩猟採取社会である。
貨幣が他の2つの要素とともに三つ巴で発達したように、新しい流れも三つ巴で発達するとある。
メルカリ、AirBnb、Uberに代表されるCtoC市場が伸びているが、贈与経済の広がりは至るところで感じることができるのではないか。
フリーランス人口が増加の一途を辿っている。フリーランスは会社組織に頼らず独力で金銭を得られるのだから、ある意味で独力で金を稼げる万能性の回帰であり、狩猟社会でのサピエンスの生き方と言えるかもしれない。
これまで通り会社組織で働く完全な農耕民族による農耕的社会と、独力で金銭を得ることができる狩猟民族による狩猟社会が共存することになるだろう。
むしろ、ほとんどの人は会社組織に所属して農耕的な生き方をしながら、独力で狩猟活動を行うのかもしれない。
そうした時代の中で生き抜くには農業の仕方と狩りの両方を覚える必要があるだろう。
狩猟採取時代への回帰は喜ばしいことだと思う。
アフリカのサバンナで最初に猿が立ち上がってから数百万年、我々はずっと狩りをして生活してきた。最近の1万年前になって初めて農耕を始めた。
つまり、我々の遺伝子は狩猟採取生活をすることに最適化されている。そのため、農耕社会をベースとした現代では色々と不都合が生じる。
狩猟採取時代では、誰かに権力が集中しない様な仕組みがうまく構築されていた様だ。
群れのα・βということ役割はあれど、一人ひとりの権限と裁量は今よりも大きかったことが想像できる。人は誰かを支配することも、誰かに支配されることにも本当はなれていないのではないか。
誰にも命令されることなく、自由に金を稼げたらこんなに素晴らしいことはない。
ぼくも狩人としての技術をもっと磨きたい。
最後に、人類史に残る新しい会社の出現というテーマで書かれた箇所を紹介したい。
30世紀の教科書に載る会社は何か?という問いに著者は「東インド会社」を上げている。なぜなら、初の株式会社だから。
そして、今後現れる人類史に残る会社についても語られる。
現在、人類史に残っている会社は、現在の会社の形態の起点となる会社なのだ。
すると、次に人類史に残る会社がどういう性質のものかも、おのずとわかってくる。現在の会社の形態を時代遅れにする会社のはずだ。新しい種類の会社の起点と言っても良い。
もしかすると、「会社」という枠組みではないかもしれない。
「お金2.0」の資本主義から価値主義へ、本書の狩猟社会への回帰という話を読んで思うのは、人類最大の経済圏を構築する会社なのかもしれない。
いや、会社というのはそもそも資本主義の枠組みだ。最早会社という呼び方ではなく、組織やコミュニティといったものかもしれない。
この問いを読んで木村新司さんの以下のツイートが思い浮かんだ。
新時代のザッカーバーグはVitalik でしょう。そして、上場はしておらず、会社という大きな組織を作っているわけではないというのが新時代を象徴しています。
— SHINJI KIMURA (@shinzizm2) 2018年1月5日
イーサリアムを生んだ23歳の天才が語る、ブロックチェーンのこれからと「分散の力」 | WIRED.jp
確かに、株式会社という組織に所属せずとんでもなく大きなことをやってのけている。
30世紀の歴史の教科書に載っている組織は1600年の東インド会社、2013年のイーサリアムかもしれない。
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