恋愛工学生が観たドラマ版「ぼくは愛を証明しようと思う」

こんにちは。恋愛工学信者のゴッホです。

テレビ朝日系列でドラマ版「ぼくは愛を証明しようと思う。」が放映されました。

2014年8月にcaskeで連載開始されてから2015年7月の小説版発売、2015年11月の月刊アフタヌーンでのマンガ連載開始と駆け上がり、今回の地上波放映はコンテンツとしてはある種の到達点となったのではないでしょうか。

次に見据えるのはドラマシリーズ化、そして映画化でしょうか。どこまでいけるか、楽しみです。

深夜枠とは言え、TV放送のリーチ力は凄まじく、小説や漫画の比較にはならないはずだ。これにより「恋愛工学」というワードがこれまで以上に世間に浸透するのではないかと思います。

今回はメルマガ創刊号からの読者である筆者から観た感想などを思うままに書き綴りたいと思います。

■レビュー

・文字情報と映像

「映像化で原作を越えることは難しい」ということを改めて感じた。そもそも原作のファンはドラマに多くの期待を持っていなかったのではないか。Twitterでもキャスティングや演技への批判の声を見かけることの方が多かった。

そもそも「映像は原作の映像を超えられない」という話はよく言われている様に感じる。文字情報だけの場合、読み手が周りの情景や主人公の顔、会話などを想像力で補うことができる。映像化されてしまうと、そもそも役者が自分のイメージと違っていたり、話し方や雰囲気も違っていたり…という受け手のイメージとの乖離が起こりやすい。特に、元々原作があって、そこに一定のファンがいる場合はファンが小説を読んで脳内に作り上げたイメージが既にあるので、それを越える(一致させる)ことが難しいのではないだろうか。

・尺の長さ

また、今回は50分という尺の短さもあった。2014年8月から2015年10月まで1年2ヶ月に渡って61話もの長編小説を50分に詰め込むのは少々無理があったかもしれない。恋愛工学テクニックの紹介に大半を費やしてしまい、ストーリーのディティールは表現しきれなかった様に感じた。この点は連続ドラマ化や映画化などすれば解消できる点ではあるので、今後に期待したい。

・テレビ事情

”テレビ受けしやすい”という観点での改編も感じた。劇中で紹介されていたテクニックは視聴者に受けやすい、使われやすいものがピックアップされていた様に感じた。

セックストリガー理論は「女は好きな相手とセックスするのではなく、セックスした相手を好きになる」という恋愛工学の根幹をなす理論であるが省かれていた。

この理論により、女から愛されるためにはまずはセックスしなければいけない→だからセックス獲得のテクニックを学ぼう!という論理展開がされるのだが、テレビ的には最初から「恋愛工学を使えば簡単にセックスできます!」という方がキャッチーだし視聴者受けもすると判断されたのだろうか。

また、「女をディスる技術」も割愛されていた。これは「女をからかうのと馬鹿にするの中間くらいの態度で接することで相対的に相手の価値を下げる」というものだが、やり方を間違うと火傷してしまう。筆者もディスり加減が分からず、何回も女性を怒らせてしまった。これはテレビを観た視聴者が真似をして女の子をディスって問題になるということを避けたのかもしれない。

・濡れ場

逆に期待したかったのは濡れ場のシーンだが、規制が高まっている昨今の事情を反映してか、あまり大胆な映像は見ることができなかった。最大でブラの上からおっぱいを揉むシーンくらいでほとんどの女性はキス止まりでセックスシーンは割愛されていた。

このへんはテレビ東京の金曜深夜の枠で実写化していれば…とたらればを考えてしまう。

■映像のリーチ力

映像化のメリットは冒頭でも触れたが圧倒的なリーチ力である。「恋愛工学」という言葉はTwitter民などネットの世界に生きる人にはおなじみのワードではあるが、一般的ではない。今回のドラマ化でこれまで恋愛工学の「れ」の字もしらなかった人々にリーチできたのではないか。その方たちはどう感じただろうか?少しでも「ナンパしてみようかな」そう感じた人が少しでも増えたのであればそれは大きな功績だろう。

■恋愛工学とぼく愛

そもそも恋愛工学とは何なのか。ドラマのために生み出されたキャッチーは面白ワードなのか?いや違う。熱狂的な信者を多数生み出し、ある人にとっては心の拠り所となっている宗教であり、コミュニティであり、人生であり、学問である。

・メルマガ「金融日記」創刊

元々は藤沢数希さんが運営するブログ「金融日記」に恋愛工学のカテゴリは数多く掲載されていた。それが色々な事件を経て削除され、金融日記のスピンオフであるメルマガ版の金融日記に再構築された。

筆者は2012年4月の創刊号からの読者であるが、金融日記は元々はダルビッシュ離婚時の慰謝料計算という「恋愛と経済」やマクロからみた恋愛市場というテーマが主で、ナンパナンパした内容ではなかった。それ故にブログ版金融日記のメイン読者であったであろうエリートサラリーマンや意識の高い大学生にも受け入れられたのではないかと思う。

創刊から3ヶ月経った第12号「 Good Genes or Good Dad?」、8ヶ月後の第35号「女の恋愛感情のトリガー」あたりから「みんなナンパしてセックスしようぜ!」的な機運が高まってきた様に感じる。ドラマの中で紹介されていたテクニックもこの頃から徐々に出始めていた。

・読者の「恋愛工学実践してみた」投稿

そもそも、メルマガの構成として冒頭に藤沢数希さんの論考→後半は読者からの質問+藤沢数希さんの回答という構成になっている。

50号くらいまでは元々遊んでいる人やナンパ師の方から「俺もこんなテクニックを知っている」「こんないい女を抱いた」といった投稿が主だった様に記憶している。また、ハンドルネームを使うという文化もほとんどなかった様な気がする。現に、今Twitter上で活躍している人達からは50号くらいまではほとんど投稿がなかった。

【金融日記FANZINE】恋愛”投稿戦士”の投稿論文まとめ|くまの|note

 しかし、ある時期から「恋愛工学実践してみた」系の投稿が数多く見られるようになってきた。「疑心暗鬼でしたが、メルマガの通りでした。本当にありがとうございました!」といった内容だ。これらの投稿は、筆者を始めとした、女にモテるための理屈はわかったものの、なかなか一歩を踏み出せなかった理論武装非モテの背中を押した。「自分たちと同じ様な人が実践して成功している。自分もやればできるかもしれない」と思わせてくれた。

そう言った意味でドラマ・小説の渡辺くんは偉大である。1人の師匠から一方的に教えられた教えを愚直に実践し、成功した。

僕は藤沢さんという永沢さんから教えを受けてもすぐに一歩を踏み出すことはできなかった。横にいるたくさんの渡辺くんが先に一歩を踏み出し、成功する姿を見て初めて一歩を踏み出せた。

Twitterへの移行

恋愛工学を実践し、藤沢数希さんに報告しつつ課題は悩みを相談する投稿は新たな理論を構築していった。そういった中でトリケラトプスさん、アキさん、ケーゴさん、サウザーさんといったスター投稿者を生み出した。彼らは活躍の場をメルマガだけではなくTwitterにも移していった。

これまで、メルマガのプラットフォーム内で1:N型でマスターから指導を受けていていたパダワン同士がTwitterに移ることで交流を持つようになった。

金融日記を読んだらTwitterで感想を書き、少々の報告(これからアポです!ゴール!!)はTwitterで行われる様になった。また、渡辺くん同士が合流してナンパに出かけるといった風景が見られるようになった。

当時はTwitter上に既に「ナンパ師」「PUA」といった巨大な市場があったので、偉大なPUA達のナンパブログをたくさん読んでテクニカルなメソッドを勉強させてもらった。

と同時に、新参者の我々はクロマニヨン人の縄張りに迷い込んだホモ・サピエンスよろしく、少々肩身の狭い思いをした。あと、女性アカウントにも叩かれまくった。

ちなみに筆者がTwitterを始めたのが2013年11月、ストリートナンパを初めてつぶやき始めたのが2014年4月だが、当時は恋愛工学アカウント自体がほとんどなかった様に記憶している。

・小説連載時の熱狂

冒頭でも触れた様に、 2014年8月からcaskeで連載が始まった。この時のコミュニティの熱狂ぶりは今でも忘れられない。

毎週木曜日に1話ずつリリースされていたのだが、みんながTwitterに感想を書き込んでいた。元カノにこっぴどく振られた渡辺くんに同情して涙し、成長していく渡辺くんに励まされ、渡辺くんの初ゴールに歓喜した。

藤沢さんがこの小説は読者の投稿から作られたという旨を述べていたが、渡辺くんは金融日記読者達の過去の姿であり未来の姿であった。みんな小説を読みながら自分を重ねて楽しんでいた様に思える。(それ故にイケメン俳優だと感情移入しづらかったかもしれない)

■終わりに

ドラマのレビューというより、ほとんどが恋愛工学のカタリベになってしまい申し訳ないです。ドラマの内容はテレビ仕様で少し「ホントか?」と思うような内容も多かったかもしれませんが、元々は実際の読者達の体験談を集積し抽出したのが原作の小説となり、ドラマ化しています。

ナンパの現場のリアルを知るにはメルマガのバックナンバーを読むのが良いと思いますが、少々時間もかかってしまうので、ドラマを観て恋愛工学に興味を持った方は小説版か漫画版を読んでみるともう少し現実味のあるストーリーや詳細なテクニックを楽しめるかもしれません。

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。